酒場で語れ

なんかまたごちゃごちゃ言ってるよ

【コラム】何者かになりたい君は、もう何者かになっている

少し前に、とても優秀で文化的な人がお店に来た。

結構久しぶりの来店、まあ詳細は控えるんだけども未だあの頃と変わらずに葛藤していた。

 

「何者かになりたい」というモチベーションを人から感じることがたまにある。

ほとんどの場合、こちらからしたら十分「何者かじゃん!」って感じで楽しいのだけど、多分その人にとって自分はまだ何者でもない、道半ばの人なのだろう。

その感情が他人にとっての違和感の原因なのだとしたら、すごくもったいない気がする。

 

例えば、クリエイティブな仕事の場合に発注側がまず気にするのは「成し遂げられるかどうか」であって、クオリティやセンスは二の次なはず。

当然、道半ばの人にお願いをするのは気が引けるので、自ずと自らを「何者かである」と自称する人にチャンスが巡ってくる。そうこうしている間にどんどん経験を積んでいきながら、自称「何者かである」人は、誰かにとっての「何者かである人」になっていく。

 

お店をやってたりすると、たまに「自分もお店とかやってみたい!」ていう人に遭遇するんだけども、大抵の場合はやらない。その理由は結構明確で、すでに誰かにとっての何者かになっているから。

 

職場で、コミュニティで、誰かにとって必要とされている限りは自己実現のためのお店なんてやる必要は全くない。少なくともこの国の経済状況下では。

 

それでも、やってしまった私のような人種はある種の不可抗力であり、職業選択の中で、これしかできないからそうしているのだと思う。

 

それでも、それでも、どうしてもお店的なことをしてみたい人は一回ウチを使って試してみたらいい。それでイメージに現実が追いついたならば、それは職業として選択肢の一つになり得るかもしれない。

 

社会貢献やコミュニティづくりをしたい人は、誰か友達とフリーペーパーでも作ってみるといい。オンラインでもいい。自分の力で何かを成し遂げた感情はおそらく、誰かのもとで何かを成し遂げた感情と大差ないことに気づくはず。それも含めてやってみなきゃわかんないのかもしれないけど、結局自分一人で何かを成し遂げるなんて不可能なのよね

 

SNSでキラキラした自称何者かの人を見たって、劣等感を感じる必要なんか全くない。

多分、その人はインターネットがなかったら人生でかすりもしないどこか遠くの人で、君の人生にとっては何の影響も及ぼさない。

 

何者かになりたい君はすでに、何かしらで人に必要とされているはずだから、そう慌てることはない。安全欲求を超え、社会的欲求が強まることは当然の感情なので、ゆっくり酒でも飲みながら大いに能書きをたれたら良い。

 

そういう場所で私はありたい。

 

 

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