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なんかまたごちゃごちゃ言ってるよ

【お知らせ】ナイトマーケット休止!緊急事態宣言につき/ 【論】インフォーマル国家日本

 

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※現在は普通に寒いので中止!!!

 

 

意外にご好評をいただいている毎週水曜日の「ナイトマーケット」ですが、緊急事態宣言下につき一旦休止いたします・・・!

 

ナイトマーケットの開催意義としては、新しい日本型インフォーマル経済のデモンストレーションといった意味合いが強くあります。

すなわち、イベント形式の箱を用意する所謂マルシェや出店イベントとは性質が違い、非日常ではなく、あくまでも日常の経済活動に組み込まれていないと意味がないのです。

飲食店が休業している間に、代替のコミュニティとして機能させることはできると思うのですが、やはり街と連動することが重要なのです・・・

 

ということで一旦休止のご報告なのですが、せっかくなので少し補足というか、開催に至るまでの経緯なんかの話をしようかとおもいます。

 

 

日本型インフォーマル経済の今後

先ほど冒頭で「インフォーマル経済」と申し上げましたが、イメージとしては発展途上国もしくは貧困国に見られる、消極的自営業者(インフォーマルセクター)の集いです。

この場合に、日本のインフォーマルセクターはかなりの割合を性産業の従事者が占めます。次点で土木作業等の肉体労働者だったのですが、現場の参入障壁が高まり、良くも悪くも非正規の肉体労働は減ってきており、代わりに農業や軽貨物運送などにシフトしているようです。

 

他国の場合、飲食(食品の販売を含む)や物販がかなりの割合を占めるのに対して日本が上記のような状況になるのは理由があります。

一つは、戦後にあった闇市のような非合法な市場の廃止によるもの。闇市は経済発展とともに商店街や組合、的屋(非合法含む)のように形を変えて消えていきました。

元々、政策的なミスもあり、食糧や物品がうまく行き渡らなかったことから、庶民の市場に対するニーズが高まり発生した闇市ですが、現在の日本においては不要であるとの位置づけです。

 

2つ目は、開業ハードルの高さ。保健所が求める水準や物件取得費が困窮している者にとってかなりのハードルになってしまうこと。

金もないしいっちょ道端で果物売るか〜とはなかなかならないですよね

食品を提供するにはそれなりの許可や準備が必要です。

 

3つ目に、生活コストに対して得られる収入の見込みが少ないということ。

本当に困窮している状況の場合に、売れるかどうかわからない何百円クラスの商品をたくさん売るモチベーションは残っていません。そうなると、必然的に高リスク高収入の仕事を探さざるを得ません。前述の通りですが、ここで性産業や肉体労働という選択肢が生まれます。

 

 

その結果、通常の経済活動に参加できない者の受け皿として飲食や物販という選択肢はほぼ無くなっていきました。・・・平成の時代までは(!)

 

 

性産業衰退は衰退する国家の通り道

令和まもなく席巻したパンデミックによって大きく状況が変化してきたと私は見ています。

性産業に従事するもの、といっても形態はさまざまで、例えばキャバクラ嬢などは経営者が委託する形で仕事を受けていました。この場合、顧客側の企業や事業主が接待費として計上できるというメリットがあり、その分経営者は単価を高く設定することで嬢に対してある一定の委託費用を支払うことができていました。

しかしながら、コロナ禍でそのパターンが崩れ、顧客の獲得に困った経営者は価格を下げる、あるいは嬢を切るという選択をせざるを得ません。

よくキャバ嬢も通常の飲食店従事者も同じだろうという話をされることがありますが、決定的な違いは報酬の支払われ方です。

コロナ禍において、様々な施策が打たれましたが接客業にとって、もっとも有効な施策は雇用調整助成金です。これが飲食の従事者の場合には痛み止めとして有効なのですが、キャバ嬢の多くは個人事業主であり、業務委託で売り上げのパーセンテージを得ていますので、こちらの最低補償は得られないケースがほとんどです。

もちろん、その他補助金、協力金や融資を使って自主判断にて、嬢に対して補償をしている経営者の方も何人も知っております。

彼らの考えは、経営判断よりも、人間的な判断に基づくものがほとんどで、文字通り自腹を切っている状況であり、ここに対する国や自治体のフォローは急務であると思います。

支給フローが変わるだけで、雇用調整助成金と同じような形をスムーズにとれないとこうした業種に従事している人々の不安は晴れることはなく、衰退の一途を辿っていく事は間違いないでしょう。

 

そして、性産業の衰退とは、産業自体が消え失せるということではありません。

 

フォーマルな経済における衰退、つまり通常の経済活動から消えるということです。

 

その結果、個人間のやりとりや不法な斡旋業者に頼らざるを得ない性産業の従事者の数が爆発的に増加します。そのほとんどが女性であるとして、男性はホームレス、あるいは低収入かつインスタントな労働をすることになるでしょう。

 

このような状況は現在進行形で、各国に見られます。

タイでは、生活苦に陥った非正規労働者に対して月5000B(日本円で15000円ほど)を支給するとしていますが、首相の意向もあり、性産業従事者のほとんどが「違法」であったためにその支援を得られることができていません。現地のNGOや有志住民による支援に頼る状況下で、100B(500円未満)で路上売春を持ちかけるほどの状況です。

タイのような観光立国では、バンコク中心地のような発展した都市を除き、外貨による生計を立てていたものがほとんどであり、内需で回すほど生活コストは安く設定されていないために労働したくてもできない、もと非正規労働者が数多く発生しています。

 

この状況下、日本にとっても対岸の火事ではありません。

 

SNSで売春を持ちかける/かけられる投稿の数は2020年時点で過去最高の4万件超え(現在ではさらに増加している可能性)「パパ活」や「レンタル彼女」のようなライトな売春を含めると相当な状況になっていいることがわかります。

供給が高まるにつれ、その価値は下がっていくことは当然です。

そして、彼らのほとんどが公的な支援を受けづらいのが現状です。

 

性産業を通常の産業と同列に語って良いのかという議論はさておき、困窮している人々が多くいることは紛れもない事実です。

 

 

ライフラインとしてのマーケットづくり

ようやく、本題、というか意義のお話です。

先述の通り、衰退していく性産業や肉体労働の市場が最後のライフラインであった日本において、法を無視したマーケットは果たして必要なのかという問いかけがナイトマーケットの意義です。

逆説的ではありますが、発展途上国に必ず見られるインフォーマルな経済を日本型にチューニングすることで、少なくとも、今日の飯には困らないようになるのではないかというイメージを持っています。

炊き出しや配給では供給する側の都合が優先されてしまうという弱点があり、それを補うのが困窮者によって構築される経済活動であれば、当面の危機はしのげるかもしれないというのがsoi51ナイトマーケットの目標です。

 

ライフラインとしてのマーケットづくりは、生活保護等に見られる「権利」の延長にあります。

 

最低限文化的であるという事は、単なる弱者救済の施しでは得られない「明日への準備」を生み出すことにつながると確信しております。

 

開催場所であるBAR ASTRUM の代表、星さんとは5年ほどの付き合いですが、彼とは出会った当時からこのイメージを共有していました。コロナ禍が無くとも、所謂夜の街が衰退していくのではないかという懸念は人一倍、いや何百倍も飲み歩いていた星さんにはあったでしょうし、当時ど真ん中で飲食店経営をしていた私も同じく、人ごとではありませんでした。

 

コロナは世の中を一変させたのではなく、加速させたのです。

 

すなわち、必ず来るであろう衰退に備えて、プラットフォームを用意しておくことが重要でした。幸い、良い場所を確保していただいたので、そこに乗っかるような形で始めることができたのですが、なかなかどうして課題は盛り沢山です。

 

まず初めに、ゴイチカのメンバーで出店したのですが、生活にまったく必需ではない品マーケットになってしまう!!!!(当然、以下略)

しかし、ちらほら買ってくれる人もいて逆にびっくりだったりするのですが、我々は今後、野外で音楽を楽しもうと決意しました。文化とは一定の安心感の上に成り立つものだと改めて思った次第です。

 

しかし、ここにきて院田くんという農家の登場で一筋の光が見えました。

野菜をちらほら持ってきてくれたのですが、価格が安いこともあって売れる!

夜中に野菜が売れる・・・!

 

知り合いや付き合いで買いにきた方もいたのですが、やはり食べ物は強い。

 

全く宣伝もなく、突如開催された謎マーケットで少しでも野菜が売れたのは希望の光・・・!

 

この世界線を目指す、というか戻る。戻らざるを得ない!!!!

 

公共の福祉、見逃される力

私達が目指すべき社会は美しく、文化的かつシステマチックな社会保障のもとにあるのはいうまでもないが、戦後100年たたないこの国にはまだ難しいようだし、世界を見渡したところでそんなパーフェクト国家はなかなかない。

 

自助、共助、公助とどの口がいうか、とは思う。けどもここは寛大な心で見逃してやるとして、その分を見逃してもらおうというのが今の気持ちだ。

 

行政が細かいところに手が届かないと思いはじめた今こそ「見逃される力」が必要になってくるはずである。

 

 

 

 

 

という事でした!

次回以降は令和最新版CSRの話をしたいなぁと思います。

 

 

 

 

※なんていうブログも2021年9月にかいていたのですが公開するの忘れてました!!!

なんとなくこの折に触れて公開しておきたいと思います😂