愛ゆえに俺は市原を去らねばならぬ
唐突に、知ったこっちゃないよ感満載のブログですみません
↓鳥羽シェフのこの記事めっちゃ好きなんですよね〜飲食人の端くれとして、もっとも理想的な言語化
さて
こんにちは。皆様いかがお過ごしでしょうか。
チャチャです。遅くなりましたが本年もよろしくお願い申し上げます。
突然?ですが、昨年末をもってチャチャの五井での営業は幕を閉じ・・・てはいなくてですね、週1(金曜日)のみの営業となっております。
それ以外の日は何をやっているのかというと、
手作りサンドウィッチのお店「ララバイ」がチャチャの場所で営業してます!
双子の兄
↓ゆうじくんと
ヴィーガンお菓子を作る妹の綾ちゃん
↓
の二人の良さを詰め込んだお店になってきています。
このお店は今のところ、チャチャの間貸しっぽく営業しているのですが、3ヶ月〜半年ほど様子を見て、「うまく行けば」チャチャは晴れて撤退!
名実とともにララバイになる予定です!
で、この「うまく行けば」について
売上や利益の見通しがある程度立つことは当然として、最も重要なこととして、二人の日常に負担がなく、お店に人生を左右されなくなるようなスタイルを模索すること
このお店を表現ツールとしてうまく利用すること
これを「うまく行く」の定義としています。
なので、人生の損益分岐点をかな〜り下げて、場合によっては別の場所からの収入を得たりえなかっりして、とにかく、お店をやっていること、自分の表現を社会に落とし込むことで、人間としての尊厳を保つ(気になる)こと
これがもっとも重要なことなんじゃないかなと俺は思います。
し、
イズムだと思います。チャチャのイズム
これを受け継いでくれる人が五井には必要だと我ながら思う時があります。
(ゆうじくんの人生については店頭で本人から聞いてね!なかなかJAZZY...です )
話を表題に戻します。
昨年末から、少しずつ進めていたのですが
チャチャ、というか俺たち(家族)は鴨川市に拠点を移します〜!
少し長ったらしくなるのですが、想いみたいなものを書き連ねてみたいと思います。
まず、なぜ鴨川なのか、について。
これに関しては、全くのスピリチュアルで、俺にもわかりません
きっかけとしては妻が妊娠中に通う病院を探していたところ、鴨川の亀田病院にしたということくらいで、
強いていうなら、生まれてきた子供の地元?はまあ確かに鴨川だよなあってなもんです。
そんなこんなで漠然と亀田病院への定期検診(遠い)を続けていたところ、ふらっと歩き回っていた安房鴨川駅前で、
明らかに俺好みの物件を発見してしまいました・・・
↑外観(2階建て)(大変)(掃除だけで大変)(まだ終わってない)(築60年〜)
↑これみて電話した (ていうか速攻ピンポン押した)
↑2階(イベントスペース兼なんかにする予定)(大変)(イベントって何)
↑2階のもう一室 (ひとまず寝泊まりできるようにしている)(大変)(けど寝た)
↑肝心の飲食スペース(とりあえず解体した)(大変)(ていうか普通にスケルトン)
てなわけでここから新しく生活の基盤を作っていくことになったので
これからは、ここがチャチャです
↓
シンプルに遠いです。
完全アウェー。
常連0(ゼロ)
友達0(ゼロ)
な状態ですが、やるしかない!ので、まあいつも通りぼちぼちやっていきます〜、じゃなくて
久しぶりにガチでやります!(泣)
というも、安房鴨川駅前徒歩1分くらいのいい場所なのですが、
20時〜はまじで人通り0(ゼロ)!!!
※ SNSとか広告とか俺はやらね〜〜〜
フィーリングで会うやつらがきてくれよな。的なアングラ五井チャチャストロングスタイルでお客さんが来る確率は、まじで0!!(ぶっ潰されるよそんな奴)
なので、いろいろと仕掛けながら、もがきながら、頑張ってみたいと思います。
幸い
五井チャチャで曲がりしてくれていた
惠食堂(スリランカカレー)
がこのビッグプロジェクトに参加してくれるのでそこが救い・・・!
そう、すでに
鴨川民の認識はカレー屋の間借り居酒屋チャチャ!!
(それで良い!!!)
とにかく、チャチャは鴨川で生きていきます!
↓恒例のチャチャTEE(これを着てくると良いことがある奴です。五井チャチャ対応。是非応援お願いします)
てなわけで、まあチャチャがどうなんねん。って話はこのくらいにして
ここからが大事な話です。
宮坂泰知の話をします。
※俺個人に興味のない方や忙しい方はここらでブラウザバックして全然OKです。
そんなことよりTシャツ買ってください〜
愛ゆえに、なんて柄にもないことを言いましたが、実は、俺は、市原市が好きです。
そしてそれは、当然ですが妻や息子、家族と生きていくきっかけの場所であることと同義です。
平たく言えば、なんというか、郷土愛みたいなものがあります。
18で上京した際に、高円寺で市原TEEを売っていたり
19の頃には、選挙の際、五井駅に勝手にVOTEポスターを貼ったり
20歳のころ、当時の佐久間市長に会いにいって、大学を卒業したら必ず市原市のためになるようなことをします。とか言ってたくらいには筋金入りです。(本人忘れてたけど)
理由は本当に特にないのですが、人生を進めていく上で後付け的にできてきたような
意義みたいなものはあります。
そしてここで家族ができました。
大学卒業後、チャチャをはじめとして、いろんなことをとっ散らかりながらやってきたのですが、現在で最も想いがあるのは京葉画廊です。
これがある意味で今の俺の最終到達地点で、ここからがまさに市原市のための何か。
が始まる時期だと思ってます。
なのに、どうして、市原を離れるのかについて、頭の整理も兼ねて語ります。
大前提、これから俺はどうしたいのか。
一言で言うと、嫌われる覚悟が欲しいのだと思います。
来てもらったことのある方や、会ったことのある方はわかってくださると思うのですが、チャチャの営業スタイルを含めて、案外俺は嫌われないような行動/思想を心がけてますし、それが商売のスタイルです。
そう、詰まるところが八方美人。
そんな中で、社会課題やアートに携わるときの自分の理想は嫌われて然るべきな、ハードコアのはずなのに、商売上の自分を切り離すことができずに、中途半端になっていると感じる時が多々あります。
だから、商売は、鴨川でやります。楽しくポップに。八方でも八十八方でも、いくらでも。
生活のために稼ぐことは、鴨川に集中したいのです。
そして、市原市での俺は
社会活動(あんま好きな表現じゃないけど)
のバイブスでしばらくを過ごしていきたいと思ってます。
もっと具体的に言うと、
蔑まれたり、生き辛かったり、ムカつく思いをしている奴
感情の行き場を無くしていたり、翻すと、人間として楽しめる場所を見失っている奴
こういった奴らと共に歩んでいきたい。と強く思います。
ただし、そんなことばっかりやってたら自ずと精神は削られていきますし、ましてや家族に迷惑がかかるので、
その感情のコントロールを物理的にセパレートしたい。と言うのが今の考え方です。
じゃあ、何すんねんって言うのは、また今度として、とにかく今はそんな感じです。
超長くなりましたが、とりあえず今年以降の宮坂泰知、個人の気持ちでした。
あ、大事なこと
これから先は、俺ひとりでは何もできません。
無理です。ひとりの限界は見えました。
様々なシーンで力を貸していただくことがあると思うので、
市原の皆様
どうか、今後ともよろしくお願い申し上げます。
それでは皆様、どちらでも、海沿いの街で会いましょう!