愛ゆえに俺は市原を去らねばならぬ
唐突に、知ったこっちゃないよ感満載のブログですみません
↓鳥羽シェフのこの記事めっちゃ好きなんですよね〜飲食人の端くれとして、もっとも理想的な言語化
さて
こんにちは。皆様いかがお過ごしでしょうか。
チャチャです。遅くなりましたが本年もよろしくお願い申し上げます。
突然?ですが、昨年末をもってチャチャの五井での営業は幕を閉じ・・・てはいなくてですね、週1(金曜日)のみの営業となっております。
それ以外の日は何をやっているのかというと、
手作りサンドウィッチのお店「ララバイ」がチャチャの場所で営業してます!
双子の兄
↓ゆうじくんと
ヴィーガンお菓子を作る妹の綾ちゃん
↓
の二人の良さを詰め込んだお店になってきています。
このお店は今のところ、チャチャの間貸しっぽく営業しているのですが、3ヶ月〜半年ほど様子を見て、「うまく行けば」チャチャは晴れて撤退!
名実とともにララバイになる予定です!
で、この「うまく行けば」について
売上や利益の見通しがある程度立つことは当然として、最も重要なこととして、二人の日常に負担がなく、お店に人生を左右されなくなるようなスタイルを模索すること
このお店を表現ツールとしてうまく利用すること
これを「うまく行く」の定義としています。
なので、人生の損益分岐点をかな〜り下げて、場合によっては別の場所からの収入を得たりえなかっりして、とにかく、お店をやっていること、自分の表現を社会に落とし込むことで、人間としての尊厳を保つ(気になる)こと
これがもっとも重要なことなんじゃないかなと俺は思います。
し、
イズムだと思います。チャチャのイズム
これを受け継いでくれる人が五井には必要だと我ながら思う時があります。
(ゆうじくんの人生については店頭で本人から聞いてね!なかなかJAZZY...です )
話を表題に戻します。
昨年末から、少しずつ進めていたのですが
チャチャ、というか俺たち(家族)は鴨川市に拠点を移します〜!
少し長ったらしくなるのですが、想いみたいなものを書き連ねてみたいと思います。
まず、なぜ鴨川なのか、について。
これに関しては、全くのスピリチュアルで、俺にもわかりません
きっかけとしては妻が妊娠中に通う病院を探していたところ、鴨川の亀田病院にしたということくらいで、
強いていうなら、生まれてきた子供の地元?はまあ確かに鴨川だよなあってなもんです。
そんなこんなで漠然と亀田病院への定期検診(遠い)を続けていたところ、ふらっと歩き回っていた安房鴨川駅前で、
明らかに俺好みの物件を発見してしまいました・・・
↑外観(2階建て)(大変)(掃除だけで大変)(まだ終わってない)(築60年〜)
↑これみて電話した (ていうか速攻ピンポン押した)
↑2階(イベントスペース兼なんかにする予定)(大変)(イベントって何)
↑2階のもう一室 (ひとまず寝泊まりできるようにしている)(大変)(けど寝た)
↑肝心の飲食スペース(とりあえず解体した)(大変)(ていうか普通にスケルトン)
てなわけでここから新しく生活の基盤を作っていくことになったので
これからは、ここがチャチャです
↓
シンプルに遠いです。
完全アウェー。
常連0(ゼロ)
友達0(ゼロ)
な状態ですが、やるしかない!ので、まあいつも通りぼちぼちやっていきます〜、じゃなくて
久しぶりにガチでやります!(泣)
というも、安房鴨川駅前徒歩1分くらいのいい場所なのですが、
20時〜はまじで人通り0(ゼロ)!!!
※ SNSとか広告とか俺はやらね〜〜〜
フィーリングで会うやつらがきてくれよな。的なアングラ五井チャチャストロングスタイルでお客さんが来る確率は、まじで0!!(ぶっ潰されるよそんな奴)
なので、いろいろと仕掛けながら、もがきながら、頑張ってみたいと思います。
幸い
五井チャチャで曲がりしてくれていた
惠食堂(スリランカカレー)
がこのビッグプロジェクトに参加してくれるのでそこが救い・・・!
そう、すでに
鴨川民の認識はカレー屋の間借り居酒屋チャチャ!!
(それで良い!!!)
とにかく、チャチャは鴨川で生きていきます!
↓恒例のチャチャTEE(これを着てくると良いことがある奴です。五井チャチャ対応。是非応援お願いします)
てなわけで、まあチャチャがどうなんねん。って話はこのくらいにして
ここからが大事な話です。
宮坂泰知の話をします。
※俺個人に興味のない方や忙しい方はここらでブラウザバックして全然OKです。
そんなことよりTシャツ買ってください〜
愛ゆえに、なんて柄にもないことを言いましたが、実は、俺は、市原市が好きです。
そしてそれは、当然ですが妻や息子、家族と生きていくきっかけの場所であることと同義です。
平たく言えば、なんというか、郷土愛みたいなものがあります。
18で上京した際に、高円寺で市原TEEを売っていたり
19の頃には、選挙の際、五井駅に勝手にVOTEポスターを貼ったり
20歳のころ、当時の佐久間市長に会いにいって、大学を卒業したら必ず市原市のためになるようなことをします。とか言ってたくらいには筋金入りです。(本人忘れてたけど)
理由は本当に特にないのですが、人生を進めていく上で後付け的にできてきたような
意義みたいなものはあります。
そしてここで家族ができました。
大学卒業後、チャチャをはじめとして、いろんなことをとっ散らかりながらやってきたのですが、現在で最も想いがあるのは京葉画廊です。
これがある意味で今の俺の最終到達地点で、ここからがまさに市原市のための何か。
が始まる時期だと思ってます。
なのに、どうして、市原を離れるのかについて、頭の整理も兼ねて語ります。
大前提、これから俺はどうしたいのか。
一言で言うと、嫌われる覚悟が欲しいのだと思います。
来てもらったことのある方や、会ったことのある方はわかってくださると思うのですが、チャチャの営業スタイルを含めて、案外俺は嫌われないような行動/思想を心がけてますし、それが商売のスタイルです。
そう、詰まるところが八方美人。
そんな中で、社会課題やアートに携わるときの自分の理想は嫌われて然るべきな、ハードコアのはずなのに、商売上の自分を切り離すことができずに、中途半端になっていると感じる時が多々あります。
だから、商売は、鴨川でやります。楽しくポップに。八方でも八十八方でも、いくらでも。
生活のために稼ぐことは、鴨川に集中したいのです。
そして、市原市での俺は
社会活動(あんま好きな表現じゃないけど)
のバイブスでしばらくを過ごしていきたいと思ってます。
もっと具体的に言うと、
蔑まれたり、生き辛かったり、ムカつく思いをしている奴
感情の行き場を無くしていたり、翻すと、人間として楽しめる場所を見失っている奴
こういった奴らと共に歩んでいきたい。と強く思います。
ただし、そんなことばっかりやってたら自ずと精神は削られていきますし、ましてや家族に迷惑がかかるので、
その感情のコントロールを物理的にセパレートしたい。と言うのが今の考え方です。
じゃあ、何すんねんって言うのは、また今度として、とにかく今はそんな感じです。
超長くなりましたが、とりあえず今年以降の宮坂泰知、個人の気持ちでした。
あ、大事なこと
これから先は、俺ひとりでは何もできません。
無理です。ひとりの限界は見えました。
様々なシーンで力を貸していただくことがあると思うので、
市原の皆様
どうか、今後ともよろしくお願い申し上げます。
それでは皆様、どちらでも、海沿いの街で会いましょう!
【コラム】急がば、廻れ
暑中お見舞い的に
ご無沙汰しております(主にFBの皆様
7/20-22日16:00〜
京葉画廊にて、cocomi治療院さんによる
アロマオイルの展示受注会&ハーブドリンク&ヘッドスパという最高なイベントをやってます。
さらにcocomiさんと縁が深い、八重さんという押し花アーティストの方も同時に展示中です!
残りわずか!
最終日は3階も含めてのクロージングパーティーの予定ですので是非遊びに行ってみてください〜!!
そんで
久〜〜しぶりに、ノンアルで夜更かしをしているのでご挨拶やご報告、主に感謝の意を込めた文章を残しておこうと思います
【コラム】片隅にて / 佐藤香展「青」 - 酒場で語れでも、軽くふれたのですが
京葉画廊というアートギャラリーを引き継がせていただいて2ヶ月ほど経ちました。
こんな感じにとりあえず形を整えてみたのですが、内装を変えるのにあたって、僕のサタニックアーティスト精神がかなり邪魔でして、蓋を開けてみるまでは志半ば、くらいにとどめながら初めてみようと思っていた次第です。
当初イメージしてたギャラリー↓
というのも、アートギャラリーたるもの、クールであり、アーティストの邪魔をせず、オーナーの色を出さない。選ばれしセンスマンの集い。ということがマストofマストだと思ってましたので、
このカウンターいる?とか
照明暗く無い?とか
日光遮った方がよくない?壁は漆喰か?クロス貼り直すか?床はフローリングか?いや絨毯か?円卓は?、、、
料金設定どうするか??スーツ着るか??白い手袋つけるか(とりあえず買った)
など、柄もなく、慎重な事ばかり考えてしまって、オープン直後体壊して一週間寝込みました。
結果
めっっちゃ良い場所、できました!!
すでに、沢山の方にご利用いただいているのですが、写真で見ていただける通り、これは、多分、アートギャラリーではない。です。
それもそのはず、蓋を開けてみたら、僕が属性として街に育てられてきたのは、明らかにチャチャ的な雑居人間味MAXコミュニティの運営力でして、都会的なスンッとしてクールな人が集うギャラリー運営なんて出来るはずもなかったので、逆に昔のギャラリーっぽい、ホッとした画廊になりました。
で
ここからが表題チックな所なのですが、そもそもこの京葉画廊は現ゴヰチカである、伝説のライブ配信&コミュニティスペース【カリレルスタジオ】を作る際、約5年以上前に借りようと思っていた物件です。
当時は、京葉画廊前オーナーである、大家さんのお父様が管理していたのですが、その時にはまだ息子が使うかもわからないから貸せない。とお断りされてしまった物件でして、そりゃ訳の分からないダサ刺青ロン毛小僧が来たら貸さないよな〜と思って退散したのですが、結果としては、家宝は寝て待て、ならぬ、家宝を寝かせておいてくださった前オーナー様、、、!
本当に!心より!感謝しております!!!
というのも、万が一、当時の僕が借りてしまっていたら、おそらくここまでめっちゃ良い場所にはならなかったはずで、まぁいいとこアパレルショップ、途中で闇営業居酒屋かなんかにしてコロナでお終い。って感じだったと思いますし、そもそも大家さんと繋いでもらったのはco-satenをはじめとした五井駅前界隈の善良な人々のおかげでして、感覚としては5年以上かけてようやく、善良なコミュニティを管理する資格を得たって感じなのです。
その道中にはプライベートを含めて、明らかに人間的な変化がありましたし(主に妻と子の影響。ありがとう)
昔と比べたら格段に角が取れてきました。はず
最近出会った方はわからない?かも知れませんが、そもそも、自分の店の前で頻繁に職質されるくらいのヤバ人オーラが出てたらしいので、アングラアーティスト居酒屋店主としては良いのかも知れないのですが、社会やアーティストとともに歩みを進めていくべく、良き人として生きていくにはあまりにも、安心と信頼&期待感0って感じでした。
兎にも角にも、僕なりになんとかかんとか生きてきた結果、こういう環境を周りの方々が与えてくださるようになった事は必然だと思いますので、これからは余計なことを考えずにスタイルを維持していく事がとても大切だな〜と、過去の自分からも教えてもらっている感じです。
最後に
表題に謳った、「急がば回れ」って言葉は昔から大好きな言葉でして、なかなか結果がついてこない時の言い訳として、自分のちっぽけなプライドや自己肯定感をコーティングするためによく使っていたのですが、ここに来て初めてちゃんと「急がば回れ」だな〜と思ったのです。
そう、廻れ
そんで、来週は昨年亡くなってしまったチャチャレジェンド香さんの代理で、横浜の桜木町にあるとても由緒正しき銘ギャラリーでのグループ展示会に、展示させてもらう側として行ってきます。
↓俺のはこれ
↓香さんはこれのやつ
香さんのおかげで、やっとこさ「廻って」きた
感じもするので、一年たって改めてありがとうございましたと言いたい。
と、こんな感じで一応感謝andご報告的な。
あ、そろそろ
FBをちゃんとやり直そうかなと思っておりますので、FBの皆様これからも何卒、よろしくお願い申し上げます!
諸々、健康に!
気をつけながら楽しんでいきましょう!
では
【コラム】片隅にて / 佐藤香展「青」
「片隅にて」という絵が、部屋の隅っこ、というかどこが隅なのかもわからないような部屋の隅に置いてあった。
キャプションをつけているということは、何かしらの展示会に出展したもので、本人は気にいっていたのだと思う。香さんの絵では珍しく微笑んだ女性の絵だ。
こんな感じの人物画クロッキーが文字通り五万とあるのだけど、ご兄弟の家で引き取ってくださるようで、一安心。
「香さん」は男性で、名前からよく展示会なんかで女性かと勘違いされることが多かったらいしい。確かに女性的な絵を描く人だった。
もともとは、うちの常連だった久郷さんという方が連れてきてくれたのが出会ったきっかけで、久郷さんが地元に帰ってからも、一人でほぼ毎日きてくれていた大常連。
そんな香さんが亡くなってしまったのは、昨年の6月ごろだったと思う。
そろそろ一年近く経つので、改めてこの店を支えてくれた大常連というか大先生に感謝を述べてみたいと思う。
おそらく、というか確実に俺が画廊をやることになったきっかけは佐藤香さんにある。
曖昧な知識でなんとなくアート青年を気取っていた俺に、本物のアートを教えてくれたのが香さんで、年に400回以上美術館に行く香さんはその度にフライヤーを持って帰ってきてくれるから旧チャチャは香さんのフライヤーだらけだった。
(新井くんの絵!)
そんな香さんが、結局俺が再開させることになった京葉画廊の事を話してたのもなんとなく記憶にあるし、24歳くらいの俺がそこの再開なんてできたら良いよね〜とかなんとか言ってたような気がする。
結局のところ、人間は誰かの意思で生かされ、やるべきことを与えられているのだと改めて思う。
というか、誰かの意思を汲み取って、勝手に解釈して人生を遂行していくのが最も素直な生き方なのかもしれないな、とか。
まあ、なんでもいいんだけど、とにかく俺は香さんの絵と深沢幸雄さんの絵が同居する空間を作らせてもらった。
京葉画廊はビルの大家さんが寛大すぎて、ひたすら恐縮しっぱなしなんだけども、それぐらいの方が引き締まってやる気が出るのが俺の性格だから非常に良い。
当然、香さんにも遊びに来て貰いたかったけど、多分生きてたら作品出したがらなかっただろうな。大先生の作品と同居なんてできない、とか言って。
俺は、曖昧な知識のアート青年なので、勝手に飾らせていただきます。
ありがとうございます。
このブログは香さんが亡くなった後にチャチャでやってた佐藤香展に合わせて書こうと思っていた下書きに加筆したものです。
その後、俺も俺で色々バタバタで書けなかったのを今更書いてみました。
佐藤香展はチャチャ常設なのでアサヒと芋焼酎片手にご覧ください。
それではまた!
【お知らせ】ナイトマーケット休止!緊急事態宣言につき/ 【論】インフォーマル国家日本
※現在は普通に寒いので中止!!!
意外にご好評をいただいている毎週水曜日の「ナイトマーケット」ですが、緊急事態宣言下につき一旦休止いたします・・・!
ナイトマーケットの開催意義としては、新しい日本型インフォーマル経済のデモンストレーションといった意味合いが強くあります。
すなわち、イベント形式の箱を用意する所謂マルシェや出店イベントとは性質が違い、非日常ではなく、あくまでも日常の経済活動に組み込まれていないと意味がないのです。
飲食店が休業している間に、代替のコミュニティとして機能させることはできると思うのですが、やはり街と連動することが重要なのです・・・
ということで一旦休止のご報告なのですが、せっかくなので少し補足というか、開催に至るまでの経緯なんかの話をしようかとおもいます。
日本型インフォーマル経済の今後
先ほど冒頭で「インフォーマル経済」と申し上げましたが、イメージとしては発展途上国もしくは貧困国に見られる、消極的自営業者(インフォーマルセクター)の集いです。
この場合に、日本のインフォーマルセクターはかなりの割合を性産業の従事者が占めます。次点で土木作業等の肉体労働者だったのですが、現場の参入障壁が高まり、良くも悪くも非正規の肉体労働は減ってきており、代わりに農業や軽貨物運送などにシフトしているようです。
他国の場合、飲食(食品の販売を含む)や物販がかなりの割合を占めるのに対して日本が上記のような状況になるのは理由があります。
一つは、戦後にあった闇市のような非合法な市場の廃止によるもの。闇市は経済発展とともに商店街や組合、的屋(非合法含む)のように形を変えて消えていきました。
元々、政策的なミスもあり、食糧や物品がうまく行き渡らなかったことから、庶民の市場に対するニーズが高まり発生した闇市ですが、現在の日本においては不要であるとの位置づけです。
2つ目は、開業ハードルの高さ。保健所が求める水準や物件取得費が困窮している者にとってかなりのハードルになってしまうこと。
金もないしいっちょ道端で果物売るか〜とはなかなかならないですよね
食品を提供するにはそれなりの許可や準備が必要です。
3つ目に、生活コストに対して得られる収入の見込みが少ないということ。
本当に困窮している状況の場合に、売れるかどうかわからない何百円クラスの商品をたくさん売るモチベーションは残っていません。そうなると、必然的に高リスク高収入の仕事を探さざるを得ません。前述の通りですが、ここで性産業や肉体労働という選択肢が生まれます。
その結果、通常の経済活動に参加できない者の受け皿として飲食や物販という選択肢はほぼ無くなっていきました。・・・平成の時代までは(!)
性産業衰退は衰退する国家の通り道
令和まもなく席巻したパンデミックによって大きく状況が変化してきたと私は見ています。
性産業に従事するもの、といっても形態はさまざまで、例えばキャバクラ嬢などは経営者が委託する形で仕事を受けていました。この場合、顧客側の企業や事業主が接待費として計上できるというメリットがあり、その分経営者は単価を高く設定することで嬢に対してある一定の委託費用を支払うことができていました。
しかしながら、コロナ禍でそのパターンが崩れ、顧客の獲得に困った経営者は価格を下げる、あるいは嬢を切るという選択をせざるを得ません。
よくキャバ嬢も通常の飲食店従事者も同じだろうという話をされることがありますが、決定的な違いは報酬の支払われ方です。
コロナ禍において、様々な施策が打たれましたが接客業にとって、もっとも有効な施策は雇用調整助成金です。これが飲食の従事者の場合には痛み止めとして有効なのですが、キャバ嬢の多くは個人事業主であり、業務委託で売り上げのパーセンテージを得ていますので、こちらの最低補償は得られないケースがほとんどです。
もちろん、その他補助金、協力金や融資を使って自主判断にて、嬢に対して補償をしている経営者の方も何人も知っております。
彼らの考えは、経営判断よりも、人間的な判断に基づくものがほとんどで、文字通り自腹を切っている状況であり、ここに対する国や自治体のフォローは急務であると思います。
支給フローが変わるだけで、雇用調整助成金と同じような形をスムーズにとれないとこうした業種に従事している人々の不安は晴れることはなく、衰退の一途を辿っていく事は間違いないでしょう。
そして、性産業の衰退とは、産業自体が消え失せるということではありません。
フォーマルな経済における衰退、つまり通常の経済活動から消えるということです。
その結果、個人間のやりとりや不法な斡旋業者に頼らざるを得ない性産業の従事者の数が爆発的に増加します。そのほとんどが女性であるとして、男性はホームレス、あるいは低収入かつインスタントな労働をすることになるでしょう。
このような状況は現在進行形で、各国に見られます。
タイでは、生活苦に陥った非正規労働者に対して月5000B(日本円で15000円ほど)を支給するとしていますが、首相の意向もあり、性産業従事者のほとんどが「違法」であったためにその支援を得られることができていません。現地のNGOや有志住民による支援に頼る状況下で、100B(500円未満)で路上売春を持ちかけるほどの状況です。
タイのような観光立国では、バンコク中心地のような発展した都市を除き、外貨による生計を立てていたものがほとんどであり、内需で回すほど生活コストは安く設定されていないために労働したくてもできない、もと非正規労働者が数多く発生しています。
この状況下、日本にとっても対岸の火事ではありません。
SNSで売春を持ちかける/かけられる投稿の数は2020年時点で過去最高の4万件超え(現在ではさらに増加している可能性)「パパ活」や「レンタル彼女」のようなライトな売春を含めると相当な状況になっていいることがわかります。
供給が高まるにつれ、その価値は下がっていくことは当然です。
そして、彼らのほとんどが公的な支援を受けづらいのが現状です。
性産業を通常の産業と同列に語って良いのかという議論はさておき、困窮している人々が多くいることは紛れもない事実です。
ライフラインとしてのマーケットづくり
ようやく、本題、というか意義のお話です。
先述の通り、衰退していく性産業や肉体労働の市場が最後のライフラインであった日本において、法を無視したマーケットは果たして必要なのかという問いかけがナイトマーケットの意義です。
逆説的ではありますが、発展途上国に必ず見られるインフォーマルな経済を日本型にチューニングすることで、少なくとも、今日の飯には困らないようになるのではないかというイメージを持っています。
炊き出しや配給では供給する側の都合が優先されてしまうという弱点があり、それを補うのが困窮者によって構築される経済活動であれば、当面の危機はしのげるかもしれないというのがsoi51ナイトマーケットの目標です。
ライフラインとしてのマーケットづくりは、生活保護等に見られる「権利」の延長にあります。
最低限文化的であるという事は、単なる弱者救済の施しでは得られない「明日への準備」を生み出すことにつながると確信しております。
開催場所であるBAR ASTRUM の代表、星さんとは5年ほどの付き合いですが、彼とは出会った当時からこのイメージを共有していました。コロナ禍が無くとも、所謂夜の街が衰退していくのではないかという懸念は人一倍、いや何百倍も飲み歩いていた星さんにはあったでしょうし、当時ど真ん中で飲食店経営をしていた私も同じく、人ごとではありませんでした。
コロナは世の中を一変させたのではなく、加速させたのです。
すなわち、必ず来るであろう衰退に備えて、プラットフォームを用意しておくことが重要でした。幸い、良い場所を確保していただいたので、そこに乗っかるような形で始めることができたのですが、なかなかどうして課題は盛り沢山です。
まず初めに、ゴイチカのメンバーで出店したのですが、生活にまったく必需ではない品マーケットになってしまう!!!!(当然、以下略)
しかし、ちらほら買ってくれる人もいて逆にびっくりだったりするのですが、我々は今後、野外で音楽を楽しもうと決意しました。文化とは一定の安心感の上に成り立つものだと改めて思った次第です。
しかし、ここにきて院田くんという農家の登場で一筋の光が見えました。
野菜をちらほら持ってきてくれたのですが、価格が安いこともあって売れる!
夜中に野菜が売れる・・・!
知り合いや付き合いで買いにきた方もいたのですが、やはり食べ物は強い。
全く宣伝もなく、突如開催された謎マーケットで少しでも野菜が売れたのは希望の光・・・!
この世界線を目指す、というか戻る。戻らざるを得ない!!!!
公共の福祉、見逃される力
私達が目指すべき社会は美しく、文化的かつシステマチックな社会保障のもとにあるのはいうまでもないが、戦後100年たたないこの国にはまだ難しいようだし、世界を見渡したところでそんなパーフェクト国家はなかなかない。
自助、共助、公助とどの口がいうか、とは思う。けどもここは寛大な心で見逃してやるとして、その分を見逃してもらおうというのが今の気持ちだ。
行政が細かいところに手が届かないと思いはじめた今こそ「見逃される力」が必要になってくるはずである。
という事でした!
次回以降は令和最新版CSRの話をしたいなぁと思います。
※なんていうブログも2021年9月にかいていたのですが公開するの忘れてました!!!
なんとなくこの折に触れて公開しておきたいと思います😂
【コラム】令和型CSRの再考、少子高齢化がもたらした「者」
先日、千葉県市原市五井駅を拠点に開催された「リノベーションスクール」という企画に地域の講師的立場で参加して参りました。
僕は多分この街で最も所謂「まちづくり」から遠いところに位置する人間なので、当たり障りなく、行政の皆様が安全に、この企画が成功するべく、できるだけなりを潜めようとする予定でした。
このリノベーションスクール(以下リノスク)は「まちづくり」に興味がある受講生が実際に空いている物件を拠点に活用方法を3日間かけ考えたのちに公開プレゼンする。的な、イマドキ官民連携イベントでして、僕の班に参加してしまった(!)受講生の方々は各々個性が分かれる5名でした。
プレゼン内容はyoutubeにあるので、詳細はとりあえずここでは割愛するのですが、今回幸運なことに受講生の方々の考えがかなり僕が最近言語化したかった事の要素を持っていたので、頭の整理も兼ねてここにまとめておきたいと思います。
令和型CSRの再考
表題に書きましたCSRとはワイマール憲法に基づいて提唱されるぐらい「古い」概念の一つです。Corporate Social Responsibilityの略称、日本では企業の社会的責任と訳されますが、簡単にいうと利潤を追求する企業活動をするなら、その責任として社会に貢献しましょうねという事です。
2000年代ごろから日本では一般的な標語になりつつあるなという感じなのですが、最近ではSDGsの企業広報的気持ちよさに押されて、少し時代遅れな感じになってしまっている気もします。いずれにせよ、ふわっとした意味で企業はいいことをしようね!というふうに解釈してしまっていいかと思います。
そんな中で、今回のリノスクのお話をいただいた時にこのCSRの概念を令和最新版にアップデートできないかな!と思っていたのです。が、あまりに真面目でつまらなくなってしまいそうだったので何も言わなかったです。ですが結果として遠からずな感じのプレゼンになったのでよかったなと思います。
ではこのCSRの概念の何をアップデートするのかと申しますと、CSRのC、すなわち令和における「企業」の形。ここを令和最新版(気に入った)にしなければならない。ということで少しお話しを。
令和における「企業」のあり方
こちら中小企業庁のめちゃわかりづらい資料なのですが、要約すると
・製造業をベースにした大企業はそろそろキツいっぽいから公金で生かすように
・中小企業減った代わりに大企業増えてるね!(吸収合併も相当数ある)
・小〜中規模事業者はいっぱいお金貸すからがんばってね
・個人事業主とか副業いいと思うよ!増やしてこ!(大企業がずっと面倒見るのキツいし)
という感じです。
いいか、悪いかは別としてこれからの時代に「個人」として生きなければいけなくなるのはもはや確定的です。個人的に日本は社会主義的な働き方の昭和平成スタイルが似合っていたと思うので、なんだか生きづらい人多くなりそうだなぁ〜という感じで心配です。
話が少しずれましたが、まあ何が言いたいかというと
これからは「個人」が社会的責任を果たさなければいけなくなる
ということです。
え、めんどくさ。と感じる思うんですよね、普通に。
でも、今回のリノスクに参加していた受講生の方々は漠然と責任の果たし方を模索されていました。何も全員が社長ではありません、普通にサラリーマンの方もいました。
僕含め、その責任とやらをはたそうとしていた人々に共通するのは「大人である」
ということでした。精神的に成熟しているとか年をとっているとか、そういう意味での大人ではなく
大人としての社会的責任を子供達に感じている
という意味です。すなわち、これまでは企業の経済活動に伴う社会的責任に基づいて社会の歪みをカバーしていたのが、この時代においては企業の経済活動すらままならないので、社会全体に生じる歪さをカバーすることができなくなった結果、それを見過ごすことのできない個人に責任が降りてきている。ということです。(わかりづらくてすみません)
例えとして「子供」に対する社会的責任の例を挙げましたが、他にも環境や人権、貧困やフードロスに至るまで、すでに個人レベルで社会的責任を果たすべく奮闘している方々はたくさんいらっしゃいます。
ですが、ほとんどの場合、一握りの、たまたま生活に余裕のある人しか社会活動に参画することができておらず、それ以外の人々は生活に追われ、じわじわと社会の歪みに飲み込まれていくしかないのが現実かと思います。
そこで、CSRの概念を再考し「個人」が社会的責任を果たしやすくする必要があるのです。
そこで、先日のリノスクに絡めて、具体的な例を一つ挙げたいと思います。
まず、責任の所在を3つに分散する必要があります。
ここで言うCSRの「C」はCorporateではなくCityとCash(casa)に当たります。
Citizenである、市民は大人としての責任に基づき子供たちの未来の選択肢を増やすこと
Cityとして、行政権はその責任において市民活動を資金や人員、広報の面でサポートする
Cashとは、ラテン語に由来するcasa(家)から派生した言葉で、金と箱の属性を持ちます。すなわち不動産オーナーが場所を提供することは広義での社会的責任にあたるはずです。
このような形で社会的責任の所在を3つに分散することで、令和においてはようやくCSRを遵守することができるのではないかと考えます。
今回、たまたま僕が良いお付き合いをさせていただいている不動産オーナー様が相場よりも非常に安価で場所の提供をしていただいております。これは明らかに良心に基づくもので、良い不動産オーナー様は無意識にCSRを体現しているものだなと感謝しました。
その上で、市民として何人かの方が活動をしたいと申し出ていること、僕を含めた近隣で商売をする事業者が協力体制を敷くこと
そして、行政としてやれることの幅を最大限にしていただく事
この要素が全て揃わなければ、いつか誰かが負担を強いられることとなり、円滑かつ持続可能な社会活動を遂行することはできないと思います。単発の社会貢献イベントならばいざ知らず、それこそ持続可能であることが旧Corporateに由来する「令和最新版CSR」のモデルケースになるのではないでしょうか。
そして、この個人によるCSRの最も良い点は対象をかなり細分化することができると言う点にあります。
先ほども書きましたが、今回はたまたま「子供」に対する責任を感じている受講生の方々が集まりましたが、環境に対して大きな責任を感じている市民であればその本拠地にしていただいてもいいと思いますし、どこかで同じような形の場所づくりができたのであれば、大きな企業が社会全体をカバーするよりも速やかに活動が実行できるのではないかと思います。
加えて、重要なのは「大きな政府(又は企業)」から「小さな政府」に転向し、民間の役割を増やすのではなく、大きければ大きいほど民間の活動の幅が広がると言うイメージです。
富裕層と貧困層の対立ほど無益なものはありませんし、ましてやリベラルや保守で対立しているほどこの国は豊かではありません。
今、最も求められているのは直近の社会的課題に対して速やかにサポートの体制を敷くことであり、そのためには裕福な人はもっと裕福に、貧しい人は可及的速やかに最低限文化的な生活を取り戻し、行政権の責任としてここに最大限の努力をしていただく。
そうすることで未来の「まちづくり」は良い方向に向かっていくのだと思います。
またまた話が逸れかけましたが、ここで表題の少子高齢化がもたらした「者」について
「者(モノ)」とはこれまで物質的な価値が人々の生活を豊かにしてきた「物」からの不可抗力的な転換です。
平均年齢が50代に差し掛かり、人口が減少するこの国において、50代以下の僕たちで物質的価値を最大化することが難しくなるのは明白です。
そこで、歪みを正すべくもたらされた「者」が現状の最大の資源であり、ここへの投資やサポート体制は結果として物質的価値を取り戻すきっかけになるのです。
物質的豊かさから人々のつながりに移り変わる。のではなく、「者」が「物」を連れてきた結果、物質的にも人間的にも豊かな生活を取り戻すことにつながるのではないかと思います。
・・・と、かなり長くなりましたので、とりあえずこれぐらいにしておきたいと思います笑
なんか文章力おちたな〜と思うのですが、その分色々やってるから許してね!
次回以降、少しだけキラキラした、楽しいお話しをできればいいなぁと思います。
それでは、年末に向けて皆様お体ご自愛くださいね。
長文お疲れ様でした!
宮坂 泰知
【コラム】何者かになりたい君は、もう何者かになっている
少し前に、とても優秀で文化的な人がお店に来た。
結構久しぶりの来店、まあ詳細は控えるんだけども未だあの頃と変わらずに葛藤していた。
「何者かになりたい」というモチベーションを人から感じることがたまにある。
ほとんどの場合、こちらからしたら十分「何者かじゃん!」って感じで楽しいのだけど、多分その人にとって自分はまだ何者でもない、道半ばの人なのだろう。
その感情が他人にとっての違和感の原因なのだとしたら、すごくもったいない気がする。
例えば、クリエイティブな仕事の場合に発注側がまず気にするのは「成し遂げられるかどうか」であって、クオリティやセンスは二の次なはず。
当然、道半ばの人にお願いをするのは気が引けるので、自ずと自らを「何者かである」と自称する人にチャンスが巡ってくる。そうこうしている間にどんどん経験を積んでいきながら、自称「何者かである」人は、誰かにとっての「何者かである人」になっていく。
お店をやってたりすると、たまに「自分もお店とかやってみたい!」ていう人に遭遇するんだけども、大抵の場合はやらない。その理由は結構明確で、すでに誰かにとっての何者かになっているから。
職場で、コミュニティで、誰かにとって必要とされている限りは自己実現のためのお店なんてやる必要は全くない。少なくともこの国の経済状況下では。
それでも、やってしまった私のような人種はある種の不可抗力であり、職業選択の中で、これしかできないからそうしているのだと思う。
それでも、それでも、どうしてもお店的なことをしてみたい人は一回ウチを使って試してみたらいい。それでイメージに現実が追いついたならば、それは職業として選択肢の一つになり得るかもしれない。
社会貢献やコミュニティづくりをしたい人は、誰か友達とフリーペーパーでも作ってみるといい。オンラインでもいい。自分の力で何かを成し遂げた感情はおそらく、誰かのもとで何かを成し遂げた感情と大差ないことに気づくはず。それも含めてやってみなきゃわかんないのかもしれないけど、結局自分一人で何かを成し遂げるなんて不可能なのよね
SNSでキラキラした自称何者かの人を見たって、劣等感を感じる必要なんか全くない。
多分、その人はインターネットがなかったら人生でかすりもしないどこか遠くの人で、君の人生にとっては何の影響も及ぼさない。
何者かになりたい君はすでに、何かしらで人に必要とされているはずだから、そう慌てることはない。安全欲求を超え、社会的欲求が強まることは当然の感情なので、ゆっくり酒でも飲みながら大いに能書きをたれたら良い。
そういう場所で私はありたい。
【お知らせ】チャチャブログ移行します。今更
サワディーカップ!
皆様いかがお過ごしでしょうか。私たちは元気です
久しぶりに文章のモチベーションが高まってきたのでブログの引っ越しをします。
うちの細々noteもwordpressに移行するか。公式に訂正、謝罪が先か。後者を願ってます(面倒的に https://t.co/4d5AYTbmzm
— ᥴꫝꪖᥴꫝꪖ/茶茶小饭店 (@chacha_sake) 2020年11月15日
てかそもそも、WPに移行しようとしていたんだけど何となくはてなブログに移行!
とりあえずの使い方はチャチャのメニュー代わりです。
現在、僕の運営しているチャチャという店にはメニューがないので、一見さん用の目安代わりにメニューとしてのブログを用意することにしました。すぐ飽きそうだけど
あとはいつも通りごちゃごちゃ書くつもりです。ブログでくだらねー社会の話をするだけじゃ世界は変わらないと思っているそこのあなた!大正解!ちょっとずつやってるから安心してほしい。是非遊びにきてね!!
ご報告までに!
チャチャ
千葉県市原市五井中央西1-6-15